映画「水の中のつぼみ」感想

「水の中のつぼみ」小学生と高校生の間にはどうしようもなく断絶があり、惹かれあっても通じ合えない。そのような映画だ。主人公2人は同じ歳ではないが同世代である。しかし、恋愛観は小学生と高校生のように開いていて、埋まる事はない。若い年代には一刻も早くセックスしなければならないという世代的プレッシャーがある。人よりも早くセックスをした事がステータスになるからである。

セックスへの憧れ、でもそれには破瓜の痛みが伴う。高校生でも破瓜の痛みが怖くてセックスできない女性は多いのではないだろうか。そのような中で「水の中のつぼみ」という映画は一人の少女=小学生と、一人の女=高校生を映し出す。2人に共通するのはセックスがヘイトなものだと考えている事である。否が応でも与えられる性の情報、下らないと思っても引き離す事ができない。

この映画は全体的に男と言う生物を、またはモテないのにセックスの欲望がある女を哀れに映している。何とか工夫してセックスしようとするピザ女(少女の姉)、いい女とセックスできなかったからとピザ女とセックスする男とパーティーで女性下着を被って馬鹿騒ぎする男達。順応したくないが、それでもしなければならない。上手くやっていくには。

「水の中のつぼみ」はいわゆる百合作品であり、そのようなシーンが散りばめられている。百合が好きならば夢のような作品だろう。ヤリマン女が実は処女だと主人公が気づいてから物語は加速、少女は少女の視点で、女は女の視点で、分かり合えないと分かるまで突き進む。そしてラストシーン、ラストの1カットには少女から映画を見ている者へとプレゼントが待っている。「水の中のつぼみ」という題名、2人がレズビアンのようにいちゃいちゃする内容に惹かれた者全てをナイフで突き刺すような、プレゼントが。